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4月1日ですね 

今日は、4月1日。新年度開始の日。

しかし、私はダウンしました。熱と各種の痛み、仕事の内容がその原因なのですが、働く意義・意欲は全く失われ、それと呼応するかのように、31日夕方から私の体は異変を興しました。解熱剤でなんとかメール。打たなくてもいいのだろうけど…。ネットに逃避。でもツイッターする気分にはなれない。

東関東大震災によって、多くの被害、あるいは人命をおとされた方々、いまも被災地、それ以外でも苦難にたっている方、それでも「希望」をもとうとしている方々、言葉では言い表せません。心からの敬意も払っています。

生きる尊厳と力をみせていただき、かえってパワーをもらっていると理解しているのに、すっかり私はPTSDになってしまったようでもある。

自分自身といえば、15年間なんとか待った希望は微塵に壊され、否定され、そろろろ職場を去る日も近いのかと思うほどです。(去って欲しいと思われている「被害妄想的」な、しかし確実な実感があり、ストレートすぎる言葉ができます。)

地震直前に書いた簡単よみやすいテキストが某雑誌がリニューアルしたサイトの小さなページに載る予定。
文化財レスキューを先に出したほうが良いのだろうが…。おそらく編集の時間切れ。
地震の報道の最中、余震や計画停電の中で東京から最終校正がきました。
書き直しもできましたが、3月あたまの、世間がうららかな日に書いたままで責校。
どうなるのか、反応も含め、他者に任せます。


初日にみた東近美での「岡本太郎展」では総花的で激しくがっかりし。NHKは人をバカにしてるのか??って感じ。あんな無理やりのスポットでテカテカ展示された作品は、いつも2階の常設であるときとは別様で、マスコミに踊らされてるのは嫌だな…彼の文章に帰りたいと思いました。

恵比寿の写美のピクトリアリズムの方がよほどすきだった。写真という技術と美と格闘した人の姿が垣間見れたから。

でも今友人・知人たちには、よほどのことがない限り、東京にいまいくのは止められている。
土地勘もうすれた場所で、無防備に安ホテルくらしは危ないのだろう…。心配してくれる人たちの不安解消のためにも今回は我慢かな、と。

作品をみることは呼吸することのように私には欠かせないのだけど…
いくつ観たい展覧会を見過ごしただろうか…。また4月にでもみれるという感覚で、前回見なかったものが後悔される。

逃避できた京都。京近美の「クレー展」は変人的?といっては悪いが、彼の執着心がよく出ていたが、展示は見にくいの一言。やはり常設の節操のなさというか自由さが、ここのよさだと思う。


隣の京市美の「親鸞展」では、人として苦しみと共存していきていくことに思いをはせました。
三國連太郎の声(音声ガイド)にやられただけでは決してないです。


私は強力な経典主義などは苦手です。宗教に対してはいつまでもフラットにいたいと強く思いました。
人が心をこめ念じ、信仰しているものに優劣があるのはヘンだし、まして否定するのはおかしいです。
(時間的に法然とダブルで拝見できなかったのは残念)

(そう確信したのは、富山に戻ったら会社に中学生の同級生を名乗る人から職場に電話がかかってきて、宗教の勧誘だろうと思いつつあえて、会ってみたから。不毛でした。3時間かけても私に信心の気持ちすら起こせない宗教人って何?軟弱というか「宗教」に逃げすぎ。仏教の教義の読み込みが浅く、また他の立場や歴史上の背景についてしらなすぎて、信じて幸せっていえる、無謀さに憤りと諦めをかんじました。
末法の世を救うのがその宗教のみなら、即東北にいってボランティアしてこい!人の声に耳を傾けてこい!と思いました。
彼らの中では私のような人現は地獄に落ちるらしい。でもジャータカでも読んでるほうがいいし、自力を散々尽くして最後の他力に任せるのが私の性にあっているのです。今生で解脱などしなくてもいいし、輪廻で苦しむのも仕方なし。苦しみがない世の中など生きてて楽しいわけがない。苦しすぎるのは勿論しんどいけれども、誰でも同じように苦しみをもち、分かちあえる。)


京都造形芸術大学に飾ってあったヤノベさんのジャイアントとらやん。
正直苦手な作品だけど、「いまこそ働け!!!」って祈りもこめて募金してきました。
本当はトラやんは嫌いだよ。でもね、作家としてここまでこれテーマにしてきたんだから、頑張って欲しいし、その意欲は作品横の寡黙なテキストから感じた。



ただ、自分の中でよくない連鎖がつづいている。

「日常」を懸命にいきることにも、さすがに疲れてきました。気負いすぎですね。
自己中心的でなく、他者をみとおしたパワーのある作品にはなかなか出会えません。

酸素のなくなった鉢で瀕死の状態の、醜く太った瀕死の金魚…それがいまの私の姿でしょう。

とにかく、ラストの「なにものかへのレクイエム 森村泰昌展」(兵庫県立美術館)には、あえて、「笑い」の要素をもらいに行く予定です。なにか掴み取るつもりで。

コメント

今日で約1年強の森村さんの「レクイエム展」が兵庫県立近代美術館で終了。金曜日にじっくり4時間かけて最後のチェック。土曜日もかるくしばしのお別れ。震災後の初に見たいと思った展覧会。心をすっきりさせてくれた。ああ、私もそのうち名もなき歴史の一部と化すという肩の荷をおろす楽さをくれたし、やはり作家のメッセージ。また余韻でうまくいいきれませんが…

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