FC2ブログ

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アートに萌えない昨今…(駄) 

今日は節分であり、東京をはじめ全国的に雪が降ってます。
でも富山はたいしたことがない。

で、ミュージアムバスにのってお出かけでもしようか?と思ったら、近代美術館が2月末まで休館だったことに気付き、富山県民会館美術館の「院展」がまだ開催前だと気付き、そのまま2度寝。
(そういえば、先般ご逝去された、片岡球子(かたおか たまこ)さんの作品はないのか…)
風邪を極端に引きやすい、アレルギー体質、いや、自己管理が出来ない私には、半日ダウン状態で寝てることは、必須なので、無理をしないで正解でした…。

さて今日は、大学時代の恩師から、プレゼントが届きました。
京都の厄落としの「節分の豆セット」とゴディバのチョコ、そして手紙。
最高なのは、2007年私が涙をのんだ、「澁澤龍彦展-幻想美術館」のパンフレット。


埼玉県立近代美術館で見逃して、結局、巡回最終館の横須賀美術館に行くのは、遠すぎてあきらめました。

全くの私の皮膚感覚ですが、瀧口修造澁澤龍彦、この2人あたりが、この数年、日本の美術を語る上で、よく語られる。
もちろん、岡本太郎のような作家自身の言葉を使ったものも多いけど…。
美術史オンリーでないアプローチで、美術館が新しい側面を作品や作家にあてているからでしょうか。サブカル好きな私には、憧れですが、難しいので、書架の飾ることになるかも。

今の細かくいろんな角度からアプローチされるアートの世界、嫌いじゃないけど、理屈っぽくて、そんなの吹き飛ばしてくれるスター(安易かもしれないけど)を求めているのも自覚。
だって、昨今の現代中国美術が50年後にも、今の価格で取引されて、時代や作家性を反映させたのか、もう私は疑問符もってます…。流行すたりも美術も同じ。アートのマネーゲームではないのでしょうかね?上手くいけばいいのですけれども…。

「横山大観展」も六本木の国立新美術館で開催中のようだけど、インフルエンザが怖くていきません。だって、没後50年は確かに節目だけど、近年「生々流転」が展示されすぎのような気がして…。痛まないのならいいのですけれども、だって、運がよければ東京国立近代美術館の常設でお目にかかることもできますからね。

富山では4月から最終巡回地として「日展 100年」も開催のようです。

展覧会情報も氾濫、アートを活かした街・再生や地域おこし、異分野とのマッチング…いろんな試みがなされているけれども、アートが疎遠に感じられる昨今なのです。

私が少々疲れ気味なのでしょうか…。アートなんて言葉で括るのが間違いで、元来アートは生きる力の表現なのでしょう…。わかっているのですが、ピンときませんね~。

そういえば、横須賀美術館が、エイブルアートをメインに打ち出すとか…。

場所の利点や新しいデザイン重視の美術館の利点はあるけれども、富山の田舎の私には、横須賀は米軍基地のイメージしかないのも事実。灯台も有名な観光地らしいですね。
あの美術館には賛否両論のようですね。私は、1日かけていくような気分になれないので、まだ行ってませんので、本来何もいえません。
「スキャンダル」や「話題」は賛否両論を含め、されるべきだという持論をもってます。(客観的に、また精神的に耐えられるかは別としてw)でもね、文化勲章もってる館長って、なんかゆがんだ政治力を感じざるをえませんね…。地元で議論になればまだマシだけど、スルーなら、かなりヤバイ状況でしょう…。

雑多すぎる今日のブロクですが、時代を共有していないと語れないのかといわれたら、違うといいたいし、あまりにもその時代にいたら、振り返ったときに、人間の記憶は操作されている。
でも、人の心や精神に触れるアートは、刺激だけでなく、いたわりも必要。そのためには、時間のある程度の経過も必要なのかもしれないと思う昨今です。誰もが新聞やテレビの記録のような、あるいは教科書みたいな生活してたわけじゃないし、個人は昔から別々。ただ省みられないだけなのでしょう。美術が大衆のものになっていった20世紀美術が私にとって楽しいのはそのため。


話は飛びますが、さっき大河ドラマ「篤姫」をみて、多くの人は、メインキャストに感情移入するのでしょうか。でも、私が江戸時代にいきてたら、絶対に年貢に苦しめられて、名も残らぬお百姓さんだったと思います。余りにもかけ離れた時代は、今の自分を、どの立場で見るのかを麻痺させているような感覚に陥ります。もちろん、娯楽のお芝居なので、目くじら立てる必要もないのですが…。

なんか情報が多すぎて、しかも操作されているのがわかってて、でも自分もこやってブログなどで何かを発信してる…。
数年前に亡くなった明治生まれの祖父が、よく携帯電話を使いたい、といったものだな~と、思う、失われた10年を体感した者のつぶやきでした。

夢みる力って、どこから湧き出るのでしょう。難題です!

追伸:私がリンクする「ウィキペディア フリー百科事典」。正直、記載内容に誤りも一部書き手のすごい感情移入もありますが、便利なのでリンクしてます。

コメント

面白いですね

知らなければ存在しないも同然だった展覧会のことが、情報の発達で「見逃したなぁ」ということになっているところはあるかもしれません。たしかに。

「20世紀美術」が既存の価値観に挑戦する刺激的な展開をしてきたのは「大衆のもの」となる過程、という考え方は面白いですね。21世紀になってだいぶ経ちますけど、大衆はいまだ、自分たち自身の美術を手にしていない感じもあります。

市民に開かれた新しい美術館を模索しなければならないときに、当の市民たちが求めているものが文化クンショーやゲージツイン会員みたいな、カビの生えた権威だったなんてアホらしい・・・。
横須賀は今どき市街地ではなくあんな郊外に立地した時点で、思想が古いというか大きなハンディをしょってるなと思いますが。いろんな議論を盛大にやってほしいですね。(できればオープンに。)

横須賀美術館のテーマ…

影ますたぁさん、コメントありがとうございます。しかも長文で、内容が濃いので、難しいよww

同時期開館の青森の方は、奈良さんの影響もあってか、地元からは歓迎なのか??
横須賀は、本当に部外の旅行者の方が賛否両論している感がありますね~

正直(思い込みの強いものですが)、エイブルアートをテーマにする、って段階で、人をバカにしてるな~って思うのですが…。そんなの今更言うことかって。別物扱いしてるの??って感じです。
それとも、すでに土壌(作家活動や作業所など)があって、美術館はそれを盛り立てるのでしょうか??

ノーマライゼーションとか、なんか、言葉て打ち立てないといけない世の中って、せちがらいな~と思うのです。
雪で弱っているせいですかね。そんな訳ないとも思うのですが…。

私は、某館長の「名画」より、エイブル系の作家(そんな言葉あるのか?)さんのグッズや絵はがき飾ってる方が、自分の気持ちと波長があい、くすっと笑ったり、いろんな想像したり勝手に遊んでます。
まあ、偉い人の絵は、きっと評価しなくちゃいけない、とう幻想に頭がやられているからかもしれませんねw
注意しないと~

  • [2008/02/07 00:01]
  • URL |
  • とーくる(K)
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://talkru.blog38.fc2.com/tb.php/179-f9f31dfc

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。