サザンのライブをテレビでみてアートを思う… 

サザンの活動休止ライブを約3時間みました。雨の中の、ライブ。
会場ではなく、テレビ画面の前で一人でみましたが、会場と同じく、あるいはもっと自由に、歌い、踊り、休憩をしつつの満喫でした。(強がりですかねw)

(チケットはとれなかったので、おとなしく横浜にはいきませんでしたし、コアなファンにレアチケットは譲るべきかと思い…涙)

さて、あれだけの人々を熱狂させ、人生に寄り添い、リンクするような親近感をもって、愛される音楽。
サザンの威力はもちろん、桑田佳祐さんの人としての魅力ももちろん。
万人ができるものではありません。やはり30年の継続も大きなものでしょう。

でもあの熱気と、一体感とライブ感は、なんとかアート(イベントではなく、鑑賞もの)には、使えないのでしょうか??
ライブ終わって約3時間、サザンへの言葉にできない思いから、そちらの方の考えも混同してきました。

作品(楽曲・歌)を、身体性(一緒に歌う、音にあわせて踊る…)を駆使し、作家(サザンメンバーら)と一緒に時間をともにし、「ライブ」をつくりあげる共同作業の感覚、連帯の気持ち。生のメッセージを受け取れる。

正直ライブは、そのアーティストの曲しらないと、満喫できないことも多いはず。コンサート会場の人々は全曲歌えるくらいの人たちでしょう。
と、いうことは、事前の知識を得る時間や労力をいとわない。というか、それも楽しい!ものになる。


ライブ=ワークショップの革新であるべきこと、だったような大昔の体験や記憶をもちつつ、人の気持ちを動かすこと、行動を起こさせるには、演出だけでない、なにか大きなものを音楽から学べるような気がしている本日、2008年8月24日でした。

さて、素人の私見。
桑ちょ、カッコよいです!昨日も含めラジオも素敵ですが、ライブがいいですね〜。でもソロが一番すきかも。
ラストの曲は「みんなのうた」と踏んでいたのですが、「勝手にシンドバッド」さらにもう1曲でしたね☆
さらに、ラブです。
しばらく屋号をお預かりするので、また戻ってきてください!(それまで、「みんな死ぬなよ〜」の桑田さんの言葉が一番利いたかもwです。)



「美術鑑賞」って何だろう… 

この夏は、「鑑賞」ということば、特に美術で使われるこの言葉に躓きました。

義務教育現場では、指導要領の変更だかで、作品の鑑賞を「美術館などを利用して」行うように進めれられているのだとか…。


 ・ よく大御所、海外の名作展でいる、教養高そうな人たち。

 ・ 美術館で、必死に資料やパネル解説を書き写して、宿題している子供たち。

 ・ うまく言葉や文字、表情にはできないけど、目で作品から何かを受け取った子供。

 ・ 作品についてのおしゃべりを介して、コミュニケーションする私たち。



どれが「鑑賞」で、どれが「鑑賞」じゃないのか。
評価される「鑑賞」って何??


教育って即、効力を発揮するもの以外、目にみえる評価ができるもの以外には、大変キツイものだな〜と思いました。
同時に、教育に縛られなきゃいけないことって、そんなにも大事なのかな…って思いました。
だって、ココロの話だし…。ほっといて欲しいエリアかな…と。難しそうです。

「鑑賞」という言葉の定義を、本当は考えなきゃいけないんだろうな…です!

オーバードホール 

多忙ながらも6月は2回もオーバードホールにいく機会に恵まれました。

水谷修氏(夜回り先生)の講演会と、「リバーダンス」

両方とも行って後悔しない内容だったのです。
すべてが賛同!とか感動!ではないし、前後の席の方のマナーの悪さにいやーな気分なるのを我慢しつつでした。

「リバーダンス」のときは本当に腹が立ちました。
キョウドー北陸さん、やらせで拍手やかけ声するくらいなら、その扉の横の携帯開いて時間確認している人注意してくださいよ!!!!
本当にホール関係者はちゃんと注意すべきです!携帯の音だけでなく、照明が後ろの席からいかに不快なものか…。

建物的には、やはりこのホールは座席番号や、階段の段差が危険で苦手です。
足腰が弱い人間には、ここは過酷です。

それに比べるのも何ですが、コクーン歌舞伎をみた、シアター・コクーンは一番に使い勝手のよい劇場だと確認することにもなりました。

「ラ・ボエーム」がみたくても、あの値段であの席で…と考えると躊躇する。
そんなホールはハードは根本的に改善できなくても、ソフト面変えてほしいと、かねがね思ってます。

のろのろ 

しばらく美術とか、アートとかには無縁な生活。
縁があるとしたら、サザンオールスターズ無期限活動休止!くらいのものです。

桑田さんのラジオで、本当に丁寧にファンに説明をしてくれたので、サザンのこの決定を悪くいうやつはサザンや桑田ファンではない。
音楽が単なるツールで、日々の生活や感情の波の中に音がいた…だから感謝できて、「待てる」というのが、出来ること・したいことだとおもったのだけれども…

えっと、個人的な支障で、5月にドクターストップが入って、ちょっと日常生活がマヒしてます。
今は一応回復しているのですが、いつ昨年の入院同様に、悪化させるかわからない、微妙な体力です。
とーくるの活動も…って話していた矢先だったので、何なのですが、随時したい人が、とーくる的考えで考えて、動いて、悩んで、実際に行ってもらいたいだけです。(欲張りでしょうか??)

なんでも「いたれりつくせりのサービス」を要望する、現代社会のあり方に少々疲れ気味なのかもしれません。
アート、とくに絵画の持つぶっきらぼうなくらい、突き放すような面白い作品に会いたいな〜と思いますが、どこにあるのやら…。
気持ち悪いから、金沢21世紀美術館にはいかないでしょう…。でも野田秀樹が日比野克彦の関係で絡むのであれば、その部分だけみにいくのでしょう…。


6月9日は「ロックの日」だか…駄洒落かよw
この1ヶ月は空白だらけと無駄な量の思考の数々だったような… 早くペースを戻したいものです。

冒険王・横尾忠則  

世田谷美術館では、館内1階・2階を使って、横尾忠則さんの個展が開催中です。
タイトルは「冒険王 横尾忠則」

世田谷美術館で終了後は、兵庫県立美術館で開催。
横尾さんが現在住んでる世田谷と、郷里で今度記念館がつくられる兵庫での個展となるようです。

冒険王 看板

世田谷美術館のある砧公園の緑にも強烈に反応する、展覧会の看板です。

2階は、横尾忠則という人の細やかさがわかります。ルソーへのブラックな模写。Y字路など近作もありつつ、途中からグラフィックの仕事へ。
すばらしいと思うのは、グラフィックの色指定などの出来上がり前の原稿をみせてくれるところ。
そして、ポスターが一切ないのが、潔くて心地よかったです。

1階は、油彩中心で大小さまざまですが、セレクトがいいのか、ライティングがいいのか、横尾さんのいわゆる個展だと必ずでる作品も多くありましたが、1点ずつが過剰ではなく、じっくり見ることができるリズム・量だったと思います。


「天の岩戸」って、あんなにキレイな作品だったけ〜と立ち尽くしておりました。私は赤のシリーズが好きですし、父の弟夫婦のくだりも個人的に共感すべき点もありひかれます。あの不思議な目のないワニが一番好きな登場モチーフでしょうか。

素敵だった展覧会。あえて不自然を感じたもの。きっとあのコーナー解説みたいな中途半端なパネルは不要。あと、なぜ「葬列」と「責場」があえてあるのか…普通見逃すような場所に展示するくらいないら、なくてもいいのに〜です。

ミュージアムショップは横尾さんのグッズであふれてました〜。
もちろん、おもわず買い込んでしまいました。
ただ、私が行った頃(4月)は、まだカタログができてなくて残念!!!

横尾ファンには垂涎ですね。会場が変わると様子も異なるでしょうから、兵庫展示も面白そうです。

横尾さんは、本当に制作するために生きてるんだな〜というか、好きというか、生活のリズムにさまざまな制作が入り込んでいて、横尾忠則って只者じゃないな、と再確認です。先生はいつも「死」をいうのに、老いないのはなんでだろう??とかいろいろ、アートの世界以外のことも感じました。
ヘビーではなく、ものが生まれるエネルギーを感じ取れる、楽しい展覧会だと思うので、今年おススメの展覧会でしょう。


あとは、図録の出来がどうだったか、ぜひ入手しなければ!です。

青森県立美術館で寺山修司 

青森県立美術館にいってきました。
仕事後に寝台列車にのって。で、初の東北・青森は、青森駅と美術館のみでした。
列車やバスの車窓から桜をみれたのは、4月の半ばのことです。

日程的に無謀な計画をさせたきっかけは、そう、、「寺山修司 劇場美術館 1935-2008」のためです。
本当にこれだけのためです。

寺山看板

入り口付近の看板

遠景


看板


看板2

白い美術館のてっぺんの端にもいらっしゃいました。


寺山修司の等身大?の看板がいたるところに、館内にもいます。
本当は青森駅にもあるとかいう情報もありましたが、私は発見できませんでしたが。

一番印象深いのは、館内の3連の看板。楽しくなります。
館内看板3


内容はといえば、私は寺山修司との出会いが10代で「本」→「演劇」だったのです。
会場は面白いのですが、うーん、ディスプレイでこぎれいにまとめられていて、混沌とした「熱」があまり感じられないのが正直なところ。
面白いのですがね。映像や音楽のたびに、イヤホンしたり立ち止まったり、PC操作したり…
なんかそれが、寺山ワールドに引き込む要素ではなく、なんかそんなものに興味がなかったであろう彼を虚像化しているような気がしました。


だから、情報の確認をするために美術館にきてるんじゃないのに、なんで寺山の本質に迫るようなことをせずに、周囲の今の声で、過去の現実や事実をみせてくれないんだろう…
そんな不満も正直ありました。図録もあまり…まだきちんと読めてないのですが、うーん、この消化不良なところが、時代がそうたってないものを扱う所以のもどかしさと意義なのかもしれません。

ただ、一度は行こうと思っていた三沢市の寺山修司記念館のものも多くきていたようなので、行かないことがいいことなのかはわかりませんが、一度に見れた、しかも青森で見ることができた成果は大きいでしょう。

桜の季節にいい天気でした。寺山修司にお礼をいいたい気分でした。

彼の本、エッセー類を久しぶりに読んでいますが、いわゆる「画家・彫刻家」とかを扱わない美術館の企画は難しいものですね…。澁澤展はどんな感じだったのかな?と、見逃した展覧会を回顧する気分にもなりました。

寝台列車がおくれたために、青森駅の職員の人にいろいろ聞いたのですが、「ああ、これが津軽なまりなのかな〜」と感じました。彼の好きなモチーフを体感!

青森で食べたもの。美術館のレストランのおススメだという、りんごのチキンカレー。確かに美味しいものでした。あと岐路で、恐山の地ビールをのみつつ、列車で寝てました。滞在は、おそらく4時間強の滞在でした。

三内丸山遺跡にいけなかったこと、この時期だと弘前の桜をみなかったこと。そんなことは吹き飛ぶ内容、それをまったく後悔せずにいれるのは、やはりよい展覧会だったからでしょう。
GW前に行ったので、空いてたのも狙いの限りです。

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「潜水服は蝶の夢をみる」を見て 

以前からみたかった映画の話です。4月早々につぶやきです。
「潜水服は蝶の夢をみる」

富山での上映の映画館は1館のみで、初日(3月29日)に見てきました。
潜水のチラシ
(映画のチラシ)

正直、映画のホームページ等で見ていた以上に、かなりよかったです。
当然ながら「涙」も誘いますが、それ以上に「面白さ」が際立って、私には伝わりました。

生きることは、生きながらえることは、辛いくて困難もあるけれども、強い考え方、その人のスタイルによってガラリと変わる。
生きることのリアルなんて、もう喪失した感の強いこの数年。久々に押し付けや説教ではない、心地よいリアルを感じました。
「想像力」や「内なる思い」に思いをはせる、久々の機会をくれる映画。


ジュリアン・シュナーベル監督の映画ってことで気になったのが最初です。
この人は、ニューヨークで活躍した80年代のペインターでもあります。
映像がきれいだし、カメラワークが面白い。
エンドロールまで、よかったです。私は内容では巡礼地「ルルド」の部分が爆笑でした。

何度かでてくる潜水服は、ヤノベケンジの作品を思い出し、蝶や花々のアップは、アラーキー蜷川美花とも違う、はかなくも力強いアップと色の加減とある種グロテスクすら感じるところが印象深かったです。

全面フランス語なので、字幕に少々戸惑いもありました。(個人の趣味ですが、文字と画面が少々疲れるので、ちょっと後方の席でみるのがいいかも?)
ただ、フランスらしい、個人も考え方を確立して生きるスタイルがあるからこそ、原作の存在やこの映画の意義を感じました。

私は単に「生きながらえている」のでしょうか…。
先般、エイブル・アート・ジャパンさんの演劇助成公募の文章の中にあった、「生きにくさ」に敏感になっていた矢先なので、もろもろ含めて、人間が生きることは、そう簡単ではないけれども、面白いと思わないと損!と感じました。もちろん、心身が病によって閉じ込められてしまった状態と一緒にしてはいけないのだけれども。フランスらしいウィットというか、さらっとだけど、生きる底力を感じる映画(あるいは主人公の生き方)でした。


映画も含めて、アートのもつ力に、支えられる感覚を覚えます。
言葉で説明できなくとも、伝わる世界、感じさせてくれる世界って、無限に想像力をかきたてて面白いです!

 原作本:「潜水服は蝶の夢をみる」 
 原作/ジャン=ドミニック・ボビー、訳 河野万里子 
 出版:講談社 価格:1,600円(税別)


お勧めの映画。できればDVDではなく、映画館へどうぞ。